被災した硯と職人の手技 


 

    日本の硯の約90%を占め、留石とも言われ女性の黒髪のようなつやとすべ

りが特徴の、高品質で日本の伝統工芸としても名高い「雄勝硯」。原材料の雄勝

石は、東京駅舎の復元にも使われています。その産地である宮城県石巻市雄勝

町もまた、震災による津波の被害により壊滅状態と聞いていました。

    私自身、雄勝硯職人との交流は約8年前に遡ります。筆離れや安価な輸入品

に押され年々その生産量は減り、職人の高齢化や後継者不足が深刻化している

中、どうにか雄勝石の可能性はないかと、硯を別の形でも暮らしの中に取り入

れられるよう共に新しく器を提案し、試作し、台所道具としても展示発表した

こともありました。

     今、東北地方に大きな試練をもたらしている震災の爪痕―。23 年の間、東北

の手仕事に携わってきた人間の一人として、どうしても自分の体をその地に置

き、この目で見聞きし、感じておかなければと強く思っていました。特に、交

流のある職人の中でも被害の大きかった宮城県石巻市の雄勝硯職人の元へはど

うしても行きたいと思っていました。そして7月中旬、やっと職人の元へ行く

ことがかないました。

 

     石巻市雄勝町へ向った日のことです。運転する車がようやく内陸から海岸沿

いにたどり着いた時、まず目の前に現れたのは感じたこともないすさまじい光

景でした。映像では何度も見ていたつもりでいましたが、その場に立つのとは

違っていました。立ちすくむだけで、言葉ならない…。高いものは建物の躯体

だけ、そして瓦礫となった山々。足元にはおもちゃのごとく捻じ曲がった鉄き

んが散らばり、時折車が通り過ぎるだけで、人もいない、声もない、風景も…

何もかもがなかったのです。ここで暮らしていた人々の営みがなくなってしま

ったのだと思いました。震災後、硯職人にやっと繋がった電話で聞いた話が甦

りました。



   

     「津波に追われてもう逃げるところがなくて、皆で崖のような所を爪を立て

るようにして登った。1m進めば50cmずり落ちる… 必死で上にたどり着き後

ろを振り返ったらあとには誰もいなかった…」。

犠牲になり亡くなられた方へ悼む気持ちと同時に、生と死の狭間に立たされ

ながらも助かった人たちの、これから生きていく上での苦境と困難を想うと本

当に胸が詰まりました。

      雄勝硯職人が作業をしているという建物は、海を臨む山陰にありました。震

災時には3階まで水に浸かったものの、幸いにも流されずに済んだという雄勝

町元町役場でした。中に入ると床一面に泥が残った1階には瓦として使われる

雄勝石が集められていました。靴の底から伝わってくる泥を感じながら階段を

登ると3階の和室会議室まで水に浸かっていて、土足で畳の上に足を踏み入れ

ました。そこには泥にまみれ破損し、割れた硯が所狭しといくつものプラスチ

ックの籠に盛り上がっていて、無残な姿になっていました。そしてその奥に津

波にさらされながらもかろうじて生き残った、白い紙に巻かれた状態の硯が800

個ほど整然と重なり並べられていました。私は吸い寄せられるように傍へ行き、

硯を手に取りました。包まれた紙に残る土の感触と共に、ずっしりとしたその

重みは私に何かを語りかけてくるようでした。

      震災当日、雄勝硯協同組合の建物は津波で全壊しました。その以前、在庫と

してあった硯の数は3~4万個。生き残ったのもはそのうち1万個。しかしその

1万個は雄勝の地域の人々が泥の中から拾い集めてくれたものだと言います。

共同組合長の澤村さんは「『拾わなくてもいい!いらねえ!』っていったんだ。

正直、硯どころではなかったんだ。死ぬか生きるかだった…。それでもここの

人たちがせっかく残った硯だからと泥を掘り起こして拾い集めてくれだ…」そ

う話してくれました。

      1万個のうち使えるのは4000 個ほど…。雄勝硯に携わる職人は約40 人程い

ましたが、2人が亡くなり、30 人以上はこの地を離れてしまい、ここにはたっ

た4人の職人が残りました。

    



     7月中旬のその日、東北でも30 度を越えていました。首にタオルを巻き、長

靴で黙々と硯の仕分けと硯を洗う姿から、600 年以上続いた雄勝硯を絶やすわけ

にはいかないという固い静かな決意が伝わってきました。

     避難所からここに2時間かけて毎日通って来ている職人が言いました。「報酬

はありません。でも何かしていないと落ち着かないんです…」今、この人の生

きる支えはまさにここにあるのだと思いました。私は帰り際、思い切って「こ

の残った硯、手をかけたら、また売ることはできますか」と尋ねました。職人

は「できると思います。もう少しすれば…」と答えてくれました。

 

     建物の外に出ると、目の前に広がる雄勝の入り江はとても穏やかで、気がつ

くと遠くから鳥のさえずりも聞こえてきました。「時間は戻れないのだなあ…」

そう思う自分がいました。そして、あらためてその建物を振り返って、はっと

しました。町役場だった建物の至る所に、多くの雄勝石が使われていたことに

初めて気がついたのです。そうか、雄勝石、硯はこの地域の人々の町の大切な

シンボルであり、誇りだったのだ、と。だからこそ、地元の人たちが泥にまみ

れながらも硯を掘り起し拾い集めてくれたのではないかと思えてきたのです。

 

     雄勝町を後にし、車を進めるにつれ、家並みや人や車の往来が増え、ある意

味普通の暮らしが徐々に車窓に広がり、通り過ぎていくのを今までとは違う思

いで眺める自分がいました。町を赤く染める夕焼けの美しさが身にしみるほど

きれいでした。私はいつしか車のハンドルを握りながら、残った職人たちが「被

災した硯」と呼ぶあの硯をどうにか店頭に出すことはできないだろうか、と考

えていました。そして、今の私にできることは“これだ”と思ったのです。

    8 月初め、決心し、職人に連絡を取りました。硯を洗ってもらい、面をもう一

度墨で仕上げ、周囲(底と側)を再仕上げしてもらうことで、販売にむけて準

備してもらえないか願い出たのです。すると「ありがとうございます。やって

みます。」という答えが返ってきました。

 

    現在も石を切り出す山への道も閉ざされ、機材はもちろん仕事をする上で何

一つない状況ですが、販売に向けてできる職人の手技があります。こうして職

人としての仕事を始めることで、それが店頭に並び、使い手に使ってもらうこ

とが、職人たちの生きていく何よりの支えになります。私は、この被災した硯

から職人としての心に少しでも光を届けられたらと考えています。そして硯は、

手にとってくださる方々にとっても、人の心と心をつなぐ大切な品となって暮

らしに息づいてくれることを願いたいのです。

      
    まもなく仕上げられた硯が届きます。新たに職人たちの手がかけられ、新た

な布に包まれ、新たな箱に、新たなしおりと職人からのメッセージが添えられ

て…。

 

※被災の雄勝硯の販売は終了いたしました。(2011.10.20)

                                                                      
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